脳覚醒プログラムは怪しい? やばい!? 飛びすぎ!!

脳覚醒プログラムについて書こうと思う

私はかつて経験した岩波先生の誘導能力に度肝を抜かれた一人だ


先生の主力プログラムの一つである脳覚醒プログラムを最初怪しいと思ったし、初回に受けてみたらやばいと思った

しかし、これはある意味褒め言葉だ


私の器が小さかったから、びっくりしてしまったし怪しいかもしれないと思ったが、それぐらい定番の誘導方法を超越していたため理解が追いつかなかっただけなのだ

やばいところに来たと思いながらも本当に感動したし、我が身をもってすごすぎる衝撃の体験をしてしまった

やばさや怪しさというものは、凄さと同意語であると思うし、すごいものほどやばいとか怪しいと思うものなんだと思う

平々凡々では、なんにも効果もすごみも威力もない

そして、一番やばいことは、その超越した体感そのものである


本当に怪しいものって何の変化を起こさないやり方である

おそらくこのブログを読んでくださっている人達も、平々凡々なセミナーやワークショップや修行をしてきたと思います

あたりさわりのない、無難で平穏でおだやか

そこに何の意味があるのだろうか?

凄さもヤバさも感じないことこそ、やばいものだと思う


平々凡々な方法では、脳は平々凡々の程度しか変化がない

変化がないと疑心が生まれる

このままこれを続けていいものか? なんて誰もが思って、次のセミナーやワークを探している人は多いと思う


どなたかブログで書いていたが、そういう平々凡々な手法こそもっとも怪しくてやばいものだと!

すごくないものこそ怪しいのだと今の私は思う

なぜなら広告で「あなたはこんな問題を抱えていませんか? 私たちはすごいです、あなたの問題を解決できる方法があります、ぜひ来てください」といっているのに、問題を解決できるほどの変化をもたらせられないのだから

すごいものはやばいし怪しいのは当然で、先生の技術はすごすぎるため、最も怪しい

だからこそ、あれだけ脳が劇的に動くし変化を起こすし、問題を解決できるし、瞑想でいえば自力で深い効果を得られるようになるのだ


これまで精神修行に励んできた人ほど感動する

脳覚醒プログラムへの衝撃度ややばさは、その人がどれだけそれまでに脳トレーニングや瞑想やヨガやマインドフルネスやスピリチュアルや催眠、ヒプノ、気功、内観をやってきたかによると思う

何も知識がない人は怪しいとしか思わないし(そもそも受けようなんて思わないだろう)、経験者はすごいと思う

それでいてやばいほどの体験ができるのだから、最終的には誰でもやばいという感想を持ってしまう

それでいて、先生の脳覚醒プログラムには「えぐい」と思えるぐらい、脳や無意識がえぐられていく

形容詞的表現が、すべて別格なのである

やばいぐらいえぐられる(先生の方で深さ、長さ、凄み、体感の種類などを調整できるが)

その先に脳覚醒状態が待っている

この脳覚醒状態は更に深まり続ける

それ以前から、受ける人は誰も怪しいだの危険だの思わなくなる

脳覚醒プログラム内では、すごいことが起きることが当たり前だからだ

感動の嵐になる


せっかくそこまで行くのに、本当にすごいものを素通りすることはもったいないことだ

高齢の先生もいつまでもやっているわけではないことは確かで、タイムリミットは刻一刻と迫っている

いつ先生が倒れるかわからない(元気な人だって急にやばいことになるなんてことはよくある)

私の兄も急にバタッと倒れてなくなった

時間は有限で、行動するときに行動しておいたほうが後悔しない

リスクがある行動の中に、リスク以上のすごすぎる成果があるのだと思う

怖いもの、怪しいもの、やばいものに本物があるんだなと思う
(すごくなければ意味がないが)

すごくない、怪しくないものに効果はついてこない!!


まとめ

岩波先生の脳覚醒プログラムは、初めは「やばい」と感じられる

その理由は、従来の方法を超えた斬新なアプローチ手法にある

これは、従来の瞑想やマインドフルネス、潜在意識や精神世界へのアプローチ術とは異なる深さと効果を持っている

この「やばい」という感じは、真の「脳覚醒」の実感からくるものだ

初めての人は怪しいと感じるし、やばい技術だと思うかもしれないが、体験すれば感動の嵐に変わる

岩波先生のプログラムは、他のどの手法よりも優れている

優れていると言うよりは、圧倒的だ

時間は有限で、先生も永遠に提供するわけではない

その価値と体感、そして受ける機会を逸したことこそ私は一番「やばい」と感じる

岩波英知先生のやばい技術は、その真の「すごさ」を示しているといっていい